【東日本大震災】 津波一ヶ月後の釜石

4月8日〜11日、津波後一ヶ月の郷里釜石へ行ったが惨状をどう表現していいかわからなかった。しかし3週間がすぎ記載してみようと思う。
釜石市の様子 4月9日】
釜石駅前から大渡橋を渡り市街に入った。アーケード街は車道の両側はガレキであった。津波後一カ月なのにガレキ撤去が進んでいない様子だ。
石応禅寺は入口の公園は冠水したようだが山門上の本堂は無事だった。倒れている墓石はあまりなくずれている程度だった。地震の被害は比較的軽微で津波が圧倒的だったようだ。
釜石港に向った。魚市場の先から港内に入ってみると巨大な船がうちあげられていた。パナマ船籍でアジアシンフォニーという船だ。手前にはマーチがひっくりかえっている。
魚市場の建物は鉄骨がずたずたに切れたり曲がったりして鉄くずになっている。ものすごく強い力でなければこのような事はできない。
岸壁はキレツが入り少し傾いている。大型埠頭も建物がこわされている。海は静かであった。

釜石駅前に戻りボランティア受付をした。仕事は物資搬入ということで「シープラザ遊」という三角テントで働く。トラックが着くとキャスターをもって集まり荷を下ろして区分したところに搬入する。トラックは東海市とある。かつて釜石製鉄所から転出した人達の街だ。次々大阪とか杉並区など各地からトラックが着く。
ダンボール箱には内容が書いてある。内容以外に「がんばれ釜石」とか書いてある場合がある。これを見つけると涙がでそうになるのであった。これは現場でなければわからない心理だろう。



   【釜石市街 大渡町 4月9日】

   【釜石市街 大町 4月9日】

   【釜石市街 4月9日】

   【釜石市街 4月9日】

   【釜石市街 4月9日】

   【釜石市街 4月9日】

   【釜石市街 4月9日】

   【釜石市街 4月9日】

   【釜石港 4月9日】

   【釜石港 4月9日】

   【釜石市街 4月9日】

   【釜石市街 4月9日】

   【釜石市街 4月9日】

   【釜石港 座礁した大型船 4月9日】

   【釜石港 4月9日】

   【釜石市街 4月10日】

   【釜石市街 4月10日】

   【釜石市街 4月10日】