「善意の人が誤った情報をもとに誤解して一生懸命努力している」

今何が起こっているかに関して911や小沢裁判、原発事故をきっかけとして報道が誤認もしくは偏向していることに気付く人が増えてきた。自分もその一人だが更にあらためて歴史や過去の政治を見直してみるとこれまであたりまえとされていた事が実はちがうのではないかということが多い。これは非常にやっかいだ。


「意図的に偏向報道している」ということならまだ良い。確信犯だからだ。なにかしら偏向報道の理由がある。お金のためかもしれないし利権を維持するためかもしれない。しかし「善意の人が誤った情報をもとに誤解して一生懸命努力している」という場合それを指摘するのは酷な話となる。

善意の人が一生懸命書いた本や雑誌、放送、ネット情報はいくらでも存在するし毎日作られ追加されている。
しかもその善意の人は自分でもある。「自分のこれまでの常識を自分で検証、訂正しなければいけない」なんという面倒でやっかいな作業だろう。こんな事なら徳川家康の見ざる言わざる聞かざるではないが「何も知らないほうが幸せ」というのもわからないではない。



話替わって以下は推測だ。稀な例として密約がある。密約は望ましいことではない。しかし、いたしかたないと判断することはありかもしれない。例えば沖縄返還のケースだ。「密約せず返還なし」を選択するか、「密約は自分が墓場まで持っていく覚悟で返還あり」を選択するか、厳しい決断が必要だったようだ。密約が人々を不幸にしないケースに限りありかもしれない。