田老 「万里の長城」と言われた悲願の大堤防でもだめだった

子供の中学校用地図をみていたら津波防災の工夫として田老が記載されている。図には明治29年三陸津波の浸水域が水色で示されている。二度とこんな目にあわないよう悲願の大堤防が作られた。大堤防は「万里の長城」とも言われX字状に建設された。X字なので町役場*方面は二重に守られていたともいえる。


しかし311大津波は大堤防を乗り越えてしまった。『復興支援地図』では浸水域が茶色で示されている。ほぼ明治29年津波の浸水域と重なる。昨年6月に現地に行き大堤防に立ってみた。市街は壊滅していた。こんなに高い大堤防でもだめだったのかと思った。


* 田老町役場:現在は町村合併で宮古市田老となっている。



  田老 津波防災の工夫(帝国書院、新編中学校社会科地図)



  復興支援地図(昭文社) 茶色が浸水地帯



  田老大堤防 2011年6月 右が内側