旧奥州街道ウオーキング 大田原〜白坂

前回の到着地点、大田原、神明交差点からスタートした。天候は快晴風弱くウオーキングには適していた。朝晩は寒かった。
緩やかな丘の連続であった。鍋掛宿を過ぎると丘が少し高くなったが厳しいというほどではなかった。川の水はますます澄み鳥の声がして終始のどかで一里塚も残っていた。コンビニは前半は少ないながらあったが、後半鍋掛十文字のファミマを最後にまったくなくコンビニ空白地帯であった。峯岸に野菜や赤飯などを売っている小さな産直店があり食料を仕入れた。

県境は東北への入口として険しい峠と思っていたが、予想に反して普通のゆるやかな峠であった。これだと倒幕軍も容易に進軍できたのではないかと思った。

今回は白坂までをめざした結果、県境の峠では真っ暗になり、LEDライトを頼りに白坂駅までたどりついた。距離は37.6kmとなりこれまでの最長を記録した。

念のため放射線測定器を持参し白坂駅で測定した。路上で0.14μSv/h、草地で0.17μSv/hと問題ないレベルであった。


ところで奥州街道を北上して「白河の関をこえるとみちのくになる」と思っていた。しかし白河の関奥州街道沿いではないことがわかった。「白河の関」はひとつ東側を平行して走る街道沿いなのである。芭蕉奥州街道を北上したが途中、回り込んで白河の関に寄っている。
江戸時代にあっては、白河の関は箱根関所のようなリアルエステイトではなく文学的な場所であったようだ。京都人にとって「異郷への入口」を象徴するのが白河の関であり、現物があってもなくても、和歌の中に存在するのであった。
余計な話だが、この「現物があってもなくても存在する」は他にも応用できそうだ。例えば「航空機現物があってもなくても、ワールドトレードセンターへの航空機突入事故は存在する」といった具合だ。




 大田原 蛇尾橋(さびばし)より蛇尾川



 麻疹(ましん)地蔵堂



 昭明橋 (那珂川



 寺子一里塚(H7年復元)



 寺子橋 (余笹川)



 黒川橋(黒川)名前のごとく川底が黒い



 板屋の一里塚(両側現存)



 高瀬村 湯泉神社付近の奥州街道



 高瀬村 湯泉神社



 境の明神(栃木福島県境)



【参考】白坂駅前草地の放射線



【記録】2015年11月1日

 8:09 大田原 神明交差点 発
 8:32 蛇尾橋 さびばし (蛇尾川)
 8:59 中田原一里塚 (片側のみ現存)
 9:20 小滝入口分岐 (棚倉街道追分)
 9:43 高野橋 (相の川)
 9:51 麻疹(ましん)地蔵堂 (休憩 :14分)
10:15 練貫十文字
10:57 野間十文字
11:06 樋沢神社  (休憩 :4分)
11:15 鍋掛一里塚 (片側のみ現存)
11:20 鍋掛十文字のファミマ (休憩 :19分) 
11:47 八坂神社 芭蕉の句碑  (休憩 :4分)
11:56 昭明橋 (那珂川
12:42 寺子一里塚公園 (H7年復元 休憩 :13分)
13:01 寺子橋 (余笹川)
13:32 豊岡公民館公園 (休憩 :4分)
13:55 黒川橋 (黒川) 
14:12 夫婦石一里塚 (両側現存)
14:34 菖蒲橋 (菖蒲川) 
14:45 芦野宿  
15:35 板屋の一里塚 (両側現存)
15:50 湯泉神社 
15:55 高瀬村火の見櫓前  (休憩 :10分)
16:55 泉田一里塚 (片側のみ現存)
17:44 境の明神 (栃木福島県境)
18:13 白坂 泉岡交差点 着

 所要 10時間4分 (うち休憩 64分) 距離 37.6km