前回の到着地点、白坂 泉岡交差点からスタートした。天候は晴、寒いが風弱くウオーキングには適していた。
緩やかな下りであった。少し行くと「除染作業中」と看板が出ており数人が作業していた。「放射能はあるのですか?」と聞くと「あります」という。「作業で取れますか?」と尋ねると「気休めですね」という。道路脇の土や草を除去しているのでお掃除と雇用対策になっていると思った。
老久保交差点で右折して南湖を見学した。松平定信が作った我が国初の公園ということで紅葉が美しかった。南湖は奥州街道から1.8km離れた所にあるので歩行時間から差し引いてある。
交差点に戻り街道歩きを再開する。平坦な田園地帯となった。幕末のころは戊辰戦争の激戦地であったという。稲荷山に登ってみると周囲が良く見渡せ布陣に適した場所であることがわかった。
ほどなく白河宿の枡形となった。典型的な城下町枡形であった。阿武隈川を渡り一つ丘を越えるとゴールの女石追分に到達した。これをもって江戸時代の五街道踏破となった。しかしゴール地点が地味だったこともあり感動も地味だった。
女石から白河へとって返し小峰城と白河の関を見学した。小峰城近くの郭内には双葉町からの仮設住宅が設けられていた。かなりの戸数であった。
小峰城は東日本大震災で石垣が一部崩れまだ工事中であったが天守(復元)の見学はできた。天守復元には稲荷山の木材も使用した。戊辰戦争時銃弾が多数打ち込まれその跡が残っていた。
白河の関は紅葉は美しいが人影はなく閑散としていた。周囲はのどかな山村で中世の関所とはいえ、なんとも地味な存在であった。やはりリアルエステイト(実物)ではなく文学的な存在であったようだ。和歌に読まれるフィクションの場所であった。
ここで一首。
都をば 期待とともにたちしかど 霞か雲か 白河の関
稲荷山公園より 田園越しに丘が見渡せる
南湖橋 (谷津田川)
白河宿 奥州街道 最終宿場
田町大橋 (阿武隈川)
女石 仙台藩慰霊碑 星のマークは奥羽列藩同盟
小峰城 (石垣を修復工事中)
小峰城内部(2階)
白河の関 静粛の地
白河の関 堀の跡
白河の関 杉の巨木
【記録】2015年11月12日
8:41 白坂 泉岡交差点 発
9:06 八幡宮
9:43 老久保交差点 (南湖往復 :78分)
10:58 老久保交差点に復帰
11:10 稲荷山公園 (休憩 :5分)
11:56 南湖橋 (谷津田川)
12:09 田町大橋 (阿武隈川)
12:22 白河 女石追分 着 (ゴール)
所要 2時間23分(うち休憩5分) 距離 10.8km
(別途:南湖往復 :78分)