「人はパンのみにて生きるにあらず」

「人はパンのみにて生きるにあらず」という新約聖書の一節がある。この言葉、聞いたことがあるだけだったが今回は身をもって実感した。
昨年3月に私は会社を早期退職して自由の身になった。収入はそこそこあり贅沢しなければ食べていける。この先どうするかはゆっくり考えよう、と悠々自適の状態となった。
他人から見るといわゆるハッピーリタイア。ところがハッピーどころか何だか不幸なのだ。うまくいえないが暗い雲がたちこめたような雰囲気だ。
最初は環境が変化したための一時的現象と思ったがそうでもない。そのうち過去に似たような経験をしたように思った。それは大学受験に失敗して予備校に通っていた一年である。
きっとこうなのだと考えた。「自分に対して自分の状態を説明できるか そうでないか」
大学生や会社員であればそれぞれ中味はどうであれ「私は○○です」と説明がつく。ところが悠々自適というのは「私は○○です」と説明しにくい。
あえて言えば「私は無職です」とか「私は個人投資家です」なのだろうが社会人としてこれらのフレーズがピンときてないからてんで説明したことにはならない。これが「パンのみにて生きるにあらず」の内容だ。

そこで「処方箋はピンとくる社会人になる事」と思い至り、夢であった会社を創業しオーナー社長になることを選択した。普通創業社長は燃えるような情熱で会社を作ると思われている事からすると、なんだか消極的で静かすぎる。しかし情熱がない訳でもないので先々乞うご期待といったところだ。
世の中には「食べてさえいければこんな仕事やめたる」と思っている人も多いだろうが、仕事とは食べること以上の意味がある。極端に言えばお金が入らなくても仕事をしていく事は重要だと思う。自分自身の存在証明のようなものだからです。

従って雇用問題を語るとき生活保障が対策とされがちだがそれでは片手落ちだ。お金が支給されても存在証明は支給されないからなのです。