白瀬南極探検隊は個人負担だった。

近所の図書館で南極探検隊100周年記念展示あり。白瀬中尉の南極探検隊を詳しく扱っていた。当時アムンセン隊(ノルウエー)とスコット隊(イギリス)も南極点をめざしており3隊の競争になった。アムンセン隊が先に到達した。スコット隊も達したが帰路全滅した。白瀬隊は途中(大和白原)までで断念したが全員生きて生還した。ここは多くの人が知っていることでしょう。
展示をよくみると私が知らないだけなのかもしれないが秘話を発見した。
①白瀬は北極探検を志していたがアメリカのピアリーが到達してしまったので目標を南極に切り替えた。
②南極探検時の白瀬は50歳とかなり高齢であった。
③南極探検は国策として語られるが当時国会決議はしたものの実は国からは資金は全く出ていない。寄付は集まったが不足した。
④不足分4万円(現在の1億円以上)は借金となり白瀬が後の半生をかけて苦難の末返したのであった。

私は政府が派遣したとばかり思っていた。当時の政府が貧しかった背景はあるのだろうがほとんど白瀬中尉個人の情熱で実行に移され帰国時は5万人が熱烈歓迎したようだが借金は全部白瀬個人が背負う驚きの結果だ。このように歴史の表向きと実際とはかなり違うことがあるようだ。