熊野古道 予想外の実像

4泊5日で熊野古道(中辺路)を歩いてきた。日々の記録はあとで書くとして印象深かった事を書く。
古道の印象が変わったのである。熊野古道のイメージはベールの平安衣装を着た小野小町のような若い女性が草履履きでしとやかに歩いている、というものだ。大体のパンフレットには写真が載せてあり熊野古道館(滝尻にある)では現物が展示してある。試着して写真を取ることも可能だ。
という事で私は「傾斜があるにしてもゆるいスロープで旧東海道などの街道歩きに近い道だろう」と思っていた。そんな場所もないではないが「大方は急傾斜の山道で街道歩きというよりも山登り」だったのである。しかも、登っては下り登っては下りを繰り返すのでヘトヘトであった。

なぜそうなのか、考えてみた。熊野大社本宮は今年2050年だという。という事は紀元前32年の創設。2050年はちょっと怪しいがとにかく非常に古い時代であり橋やトンネルは無理だった。とすると深い谷や峰々を越える道を作るには、出来るだけ早く尾根に出て尾根伝いに進み、避けられない深い谷はまっすぐおりて谷を渡り対岸をまっすぐ上がる、という道になる。

とにかく熊野古道はゆるいスロープではなく歩きに配慮しない厳しい道であった。加えて崩壊箇所が数カ所あり迂回路を進んだが事前情報は不十分だった。世界遺産なのでパンフレット類は豊富だがそこからは古道の実像は伝わってこない。この種の事は観光案内に多いわけだが、実像も記載したほうが良いと思う。

また、たくさんの人が歩いていると思っていたがほとんど人に出会わなかった。まれに出会っても外国人であり日本人はほぼ皆無であったのは驚きであった。最終日那智駅に向かう中辺路を歩いていたら向こうから若い女性二人連れがきた。喜んで話しかけたら日本語が通じなかった。このところ日本人にそっくりの外国人が増えたのだと思った。