震災以降、原子力発電所についての考えをまとめようとしていたが二年過ぎてしまった。色々あるがきりがないので現時点で思うことを書きます。
【原子力発電所について】
■2011年3月11日東日本大震災が起きた。地震と津波、原発事故が発生した。地震と津波は目に見え肌で感じることができる災害であるのに対して、原発事故による放射能は目に見えず肌で感じることができない次元の違う大災害でありました。
■地震と津波はあくまで物質が大規模に動く災害であり人類を含む生命が過去に経験している事であるのに対して原発事故は原子核反応により物質が変化してしまう災害で人類は過去ほとんど経験していない。あえて数えると広島原爆、長崎原爆、スリーマイル島事故、チェルノブイリ事故、そして福島第一原発事故の5回である。すべてここ数十年の事である。原発事故は原爆同様異次元の経験である。
■原発事故は異次元災害であるから対処には人類の経験は無力に近い。事の本質は核問題なのだということをきっちり踏まえないといけない。報道される福島浜通りの野山は「何事もなかったかのようにのどか」である。しかしこれは放射能が目に見えないからであり、実際は危険な場所となってしまった。危険の判定は放射線測定器で測定しその数値で行うしかない。しかし見解がわかれたりしてはななだわかりにくい。政府も報道機関もわかりにくいから数値だけ伝える。すると「安全なのか?」と質問が出るから答えなくてはいけない。「ただちに危険ということではありません」となる。あいまいな答となっていること自体が課題です。
■「危険は自己責任で判断してください」なんて事を人々に要求するのは無理筋であります。市町村長や福島県知事でも難問。原発事故の危険とは「発がん確率が増える」わけだが、ICRP基準によると「1ミリシーベルトで10000人に 1人発がん確率が増える」、更に「感受性は細胞分裂が盛んなほど高い、従って年齢が若い子供や幼児ほど高い」・・・難問です。
■ところで「原発は必要か」という問には比較的シンプルな考え方ができそうです。
原発の本質は核問題であり異次元の事。ですから原発を考えるには通常の思考ではなく異次元の思考が必要。超越神とか核兵器の潜在能力とか日本列島全滅のリスク、エネルギー政策や廃棄物処理の見通し、活断層の判定、といった総合知が必要と思われますができる人がいるのだろうか?非常に難しい。少なくとも工学部の一学科や文科省、経産省、電力会社が担当すれば済む話ではない。
■一方、原発は発電の一手段。発電の方法は水力、石炭火力、石油火力などたくさんの方法がある。原発をのぞけばどれも異次元ではない。したがって何も好んで原発を使わずとも人類の経験が生かせる水力、火力などで対処できる話。日本列島全滅のリスクなど発電所が持ってはいけない。「原発は発電の手段としてはこれを保持しない」と定めるほうが理にかなっている。ドイツはこれを選択した。
発電所のコスト比較をよく耳にするが原理的に無意味。水力、石炭火力、石油火力にコスト比較を行うのは良い。しかし異次元の原発は別です。生命の危険や日本列島全滅リスクのコスト比較は無理であり意味が無い。死んでお金を手にしても使う人は生きていないのですから。
【まとめ】
■「原発事故は次元の違う災害であり対処するには人類の経験は無力に近い。」
■「原発の本質は核問題であり異次元」なので総合知が必要であるが難しい。
■「原発は発電の手段としてはこれを保持しない」と定めるほうが理にかなっている。ドイツはこれを選択した。