国家や社会はともかく、個人として希望を成立させる

日々生きている中で希望は大切だ。希望とは「この先今より生活が良くなる」という期待である。大きな事でももちろん結構だが小さい事で良い。

思うに40年ほど前、とても忙しかったが希望はあったように思う。GDPは世界第二位でアメリカをしのぐかもしれないと言われていた。しかしプラザ合意と失われた30年が過ぎた現在を見渡すに希望が持ちにくい状況となった。GDPはダウンし少子高齢化が進み実質賃金は下がり続けてきた。景気悪化をまねくのに財務省により増税が強行されてきた。不可解な疫病が蔓延しウクライナでは戦争が起こっている。
しかしである。希望は持ち続ける必要がある。少なくとも自分は希望を持ちたいと思う。従って発想をかえ、国家や社会はともかく個人として希望を成立させる、その方法を考えてみた。

                  記

①国家や社会は報道されているほど悪くなってはいない。確かに低調な面はあるが報道はGHQ自虐史観と国際金融資本のフィルターがかかっているから誤解がある。
財務省役人や国際金融資本の策略があるだろうが、自分と関係ない場合は何もできないのだから静観する。
③たとえひどい国家と言われていても国民全員がひどい訳ではないから、良い人達とつきあう事はできる。
④世の中を良くするのは技術革新と心得れば未来は明るい。鉄腕アトムを思い出すことである。

⑤技術革新にはひとものかねが集まり希望が生まれる。