小池劇場の役回りが変化したようだ

劇場型の政治手法は「わかりやすく」のもと、悪者を特定し、自らはそれをやっつける正義の味方となる。
例えば小池劇場では 内田氏や石原元知事が悪者で、小池知事はそれを成敗する正義の味方なのであった。
水戸黄門などほとんどのドラマはこの図式なので国民やマスコミは慣れており喝采を叫ぶ。
本当はそうではなく、善悪など判定がつかないのだが気がつきにくい。


今回も小池劇場が幕を開けた。「しがらみにしがみつく民進党重鎮の悪者を正義の味方小池が成敗する」はずだった。
しかし「選別・排除」をふりかざす姿が露呈し「この人は何様だ」「ファシストか」の印象がひろがり、迫害された枝野が悲しそうに立憲民主党を立ち上げるに至って「受難者枝野は善人」にみえてくるのであった。
役回りが転換してしまったようだ。