原発事故 何故過小評価するのか

福島第一原発の事故についてはだれもが厳しいと感じていると思う。私はとくに二つの点を感じる。
①事故が大規模で自分が知る範囲ではもっとも厳しい状況にある点。
②起きている事を伝えない,隠している、そのため苦慮する事になっている点。

①は厳しいがとにかく起こってしまったのだから、事実を知って対処するしかない。一般人だとマスクして避難するしかない。
しかし問題は②だ。伝えない、隠している そのため被曝しないでよかった人が被曝している、これは人災だ。一例として30km圏外にも高濃度地帯があった。
何故このようなことが許されるのか。当初は好意的にパニック防止だと思っていた。しかしそうとも言えない。テレビや新聞を見ると体質的に過小評価することが文化になっている。
これをなんと表現するのか言葉がみあたらないが、とにかく問題だ。
推測だがもともと難しい事故ではあり一部の人しか理解できない。一部の人が正確に伝えると責任を伴い、責められる。これが怖いから自分たちは発言をしないようにする、こんな文化なのではないか。

当時のソ連チェルノブイリ事故がきっかけで解体した。日本は体制浄化できるのだろうか。私たちは何をしたらいいのだろう。