自己有用感と自己無力感

最近ときどき思う。多くの人は自己有用感と自己無力感の間を行ったりきたりしているのではないか。
自己有用感とは自分が重要で役に立っていると感じること、例えば「この仕事はあなたしかできない」「貴方が必要だ」などと言われることだ。
自己無力感とはこの逆だ。
当然だが自己無力感にはなりたくない。しかし、ひとつの自己有用感に永久に浸ることはできない。どこかで引退する局面が発生する。
老賢人はこれを見抜いていたようだ。「おしまれつつ引退」といった花道があると理想だ。逆にどこかの首相のように地位にしがみつくとなると「困ったものだ」となる。
ところで首相をやめたらもう自己無力感の権化かと言うとそんなことはない。経験を生かし自己有用感を得る場所は見つかると思う。
自分は首相のような高貴な地位にはないので「引退の花道」などそもそも縁がないが、「迷惑」などといわれないようにはしたいものだ。