自己有用感パラドックス

「人は必要とされている事を必要としている」を前提とした仮説です。

自己有用感は売っているものではない。お店に行って「自己有用感一個ください」「はい1980円です」とはならない。
小さい頃から親や学校で「ひとに迷惑をかけるな」と教わる。これを「ひとの世話にならず自立する」と解釈するのでできるだけひとのお世話を受けまいとする。
これ自体は悪いことではない。しかし一方で自分は必要とされている事を求めているからひとのお世話をしたくてたまらない。
結果「自分はお世話を受けたくないがひとのお世話をしたくてたまらない人」であふれる事になる。自己有用感のパラドックスだ。


だが抜け道はある。そのひとつは仕事だ。仕事では迷惑をかけていいのだ。仕事のメールは第一行に「いつもお世話になっております」と書かれる。まさに自己有用感を得る言葉だ。また社長がわがままを押しつけるから愚痴を言いつつも自己有用感は高まる。
更に子供ができたとき、家族介護が必要となったとき、ペットを飼った時も自己有用感は高まる。

しかし仕事はいつか退職を迎える、子供は親元を離れる、家族介護は終わりを迎える、ペットも終わりを迎える。
これらは時間制限があるのだ。
時間制限前に自分の時間制限(逝去)が訪れれば悩まなくてすむ。
しかし今は長生きの時代だからパラドックスとなりやすい。

パラドックスそのものを解決するか、抜け道を強化するか?
どう思いますか?