「思考はほんとの自分ではない」

「思考はほんとの自分ではない」という話を聞いた。作業を無心でやったり瞑想での境地がほんとうの自分で「おおいなるものとの接触」があるという。言葉での表現が難しいようだが、これはある種「悟りの境地」だという。この状態になれたら思考でいくら悩んでいてもそれに関係なくさわやかな境地になるようだ。

私流の解釈となるが「我思う、故に我在り」(Cogito ergo sum デカルト方法序説』)に対して、我思うはほんとの我ではない、「悟りの境地」が本当の我なのだ、ということになる。釈迦も同じような事を言っているようだ。